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【2025/04/30 14:21 】 |
さよならぼくたちのようちえん
 
 
芦田愛菜現象を引き起こした、ドラマ「MOTHER」のスタッフによる、ドラマスペシャル。脚本は坂元祐二。あり余る才能を賞賛されながらも、「MOTHER」では、何か「作る」者の物怖じが感じられた。なぜだろう。キャスト達のずば抜けた演技でドラマは佳作に仕上がっていたが、 本当はもっと遠くに行けたと思っていたかもしれない。そこでくすぶらせていた「生のチカラ」を今回のドラマに託したという気がする。内容は、大人に内緒で遠くの病院に入院している幼稚園友達の見舞いに行くという物語であるが、こどもの神のような心の痛みを、自由にそして狡猾に存在証明していきながら、印象的な出来事でつづっている。それぞれ子役はみな素晴らしかった。ラスト、芦田愛菜が病気の友達とふたりきりの卒園式をする場面、友情を守りながら別れの儀式をするくだりまで、色のついた出来事がこども達に降り注ぎ続ける。この世の値うちを鳥瞰するようなこども達のそれらに対する視線。それがあるポイントでとどまり続けることがこのドラマの救いであり、さわやかな情感を生んでいる。一見、こどもへの効果が問題視されそうな非日常的な人物の登場は、実はその救いのためのドラマツールとして機能しており、夢から覚めてこども達はまた歩き出す。さて、大人の私はこれからどこへいったものか。やはり夕陽に向かって走るのか・・・うう。


 
さよならぼくたちのようちえん

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【2011/05/05 04:50 】 | 映画・ドラマ | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
The Need for a Recovery of Philosophy  JOHN DEWEY  その8

 


The successful activities of the organism, those within which environmental assistance is incorporated, react upon the environment to bring about modifications favorable to their own future. The human being has upon his hands the problem of responding to what is going on around him so that these changes will take one turn rather than another, namely, that required by its own further functioning. While backed in part by the environment, its life is anything but a peaceful exhalation of environment. It is obliged to struggle―that is to say, to employ the direct support given by the environment in order indirectly to effect changes that would not otherwise occur. In this sense, life goes on by means of controlling the environment. Its activities must change the changes going on around it; they must neutralize hostile occurrences; they must transform neutral events into coöperative factors or into an efflorescence of new features.


有機体の望ましい活動、それは環境からの恩恵があってなりたつのであるが、自身の未来にとって有益に変化してくれる環境に反応してゆく。人間は次のような問題、すなわち自分の周りに起こっていることに対する反応については、その変化がほかでもないひとつのある方法で自己にさらなる機能をもたせてゆくことができるのであれば、必要に応じ自己でその採択の権利を行使する。部分的に環境によって助けられてはいるが、その生は決して環境への平和的な呼応ではない。それはいわば闘争をよぎなくされるということであり、自然の恩恵なしにはおこりえないであろう変化を間接的にひきおこしてゆくために、まずはその直接的な恩恵を選ぶということなのだ。その意味において、生は環境をコントロールすることによって存続する。そしてその活動は変革に変革を重ねてゆく。そして敵の攻撃を無力化するのみでなく、それどころかそれを新しい形質の開花に有利に働くように仕向けてゆくのである。

 

(メモ)

難しい表現が続く。迷ったときは基本的な記号を頼りに、そこから意味を、そして有り様を探る。内容はいたって既知の世界の記述であるから、流れるように訳せばいいだろうか。exhalationにefflorescenceだもの。 その言語感覚にはそうそうついていけるものでもなかろ。次ターンに雪辱をはかるべし。

 





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【2011/05/02 22:50 】 | 翻訳 | 有り難いご意見(0)
The Need for a Recovery of Philosophy  JOHN DEWEY  その7

 




Suppose we take seriously the contribution made to our idea of experience by biology,―not that recent biological science discovered the facts, but that it has so emphasized them that there is no longer an excuse for ignoring them or treating them as negligible. Any account of experience must now fit into the consideration that experiencing means living; and that living goes on in and because of an environing medium, not in a vacuum. Where there is experience, there is a living being. Where there is life, there is a double connexion maintained with the environment. In part, environmental energies constitute organic functions; they enter into them. Life is not possible without such direct support by the environment. But while all organic changes depend upon the natural energies of the environment for their origination and occurrence, the natural energies sometimes carry the organic functions prosperously forward, and sometimes act counter to their continuance. Growth and decay, health and disease, are alike continuous with activities of the natural surroundings. The difference lies in the bearing of what happens upon future life-activity. From the standpoint of this future reference environmental incidents fall into groups: those favorable to life-activities, and those hostile.



生物学的見地によってあらたにもたらされた経験観念を真剣に受け止めてみようーそれは、最近の科学が新事実を発見したということではなく、その成果をもはや無視したりないがしろに扱ったりできないと信じはじめられているということである。経験の考察においてはすべて、その過程は生物そのものを意味しているのだという考えを適用しなければならない、また、生物は真空の中でなく、取り巻く生息環境に依存したうえで生きていくのである。経験のあるところ、生物の存在はある。そして生命の作用のあるところには、環境との二重の持続的つながりがある。一つに、環境のエネルギーは有機体の機能を形成する、いいかえればそこへ入り込む。生物は、そんな環境による直接の助け無しには成り立たない。しかし、すべての有機体の器質性変化はその生起と発現を自然のエネルギーに依存しているものの、実際自然のエネルギーは有機体の繁栄に正に働くこともあれば、時にはその生の持続の反対方向にも働く。成長と腐敗、健康と病気は、自然環境の活動にそっくり連動しているが如く見える。ただ、それがその後の「生の活動」に起こったことが実りをもたらすかどうかの違いがある。こういった未来志向の着眼点から、その環境での出来事は「生の活動」にとって味方であるか敵であるか、いずれかに分類される。

 

(メモ)
double connetionのところを訳すのが難しかった。これは前の文章と対になっている。問題は何が二重かということなのだが、うしろにスルーされた意味の内容からからかんがえたところ living beingと lifeを、ヘーゲルの「即自」「対自」的に訳し、「生物の存在」「生命の作用」としたらうまくいくのではなかろうか。life-activityは、「生の行為」辺りかな?これではスキありの訳なんだろうか。ふう。

 





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【2011/04/26 23:56 】 | 翻訳 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
哲学的人間学
 






「当たり前のこと」にあらためて気がつく時、体がふっと軽くなることがある。昔のおきまりのルーチンワークだとか、直観的にかきなぐっていたメモの余白だったりを振り返ってみると、感じることのできたこと、分かっていたことを、時間とともに置き去りにしていたのだなどと思う。それを恥ずかしげもなく追いかけていくことのできる若さを、決して無駄ではないと信じたい。そこで得られたいくつかのささいな気づきは、まだしまい込まれたまま証明を待っている。はじまりはエモーションだ。私たちは、デカルトに帰る時にだってそれを忘れることはない。
さて、20年くらい前はたいていの大きい本屋ならば見つけることのできたこの本である。シェーラーとハイデガーをはじめとする古今東西の思想家の人間観が、運動会の全員参加型リレーの如く登場してくる。人間とは何かに対する直球的解答の一覧、それだけでも読み応えがある。もちろん、現代の人間科学から見ればそれは堂々巡りの使い道のない風景のようなものなのかもしれない。しかし私は思う。こんなものへこそ大きなおまけが付いてくるものなのだと。真摯なもののとっかかりを決して涙の谷に流さない人間の形而上学。機会があればぜひ一読を薦めたい本なのである。

 


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【2011/04/21 21:45 】 | | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
プラグマティズムと記号学



 

予定調和的に理解できるものと、デューイの翻訳をはじめたのだが、単純な用語の多用や難解な表現に度々出くわし、視野を広げざるを得なくなった。そんな時に読んだこの本である。記号学の祖パースからデューイ、そしてモリスへと繋がる系譜が書かれており、記号学史全体からデューイの思想を抽出する助けになった。今までの理解を超えて新たにのびてくる地平があり、デューイの果たした重要な役割をより明確に位置付けることができた。
パースは記号の必然性・形式性を強調し、カントのカテゴリを発展させ、文の構造にあてはめることによるゆらぎを解釈項として比較対照した。また、記号過程において直観を排し、経験的に進化することで、ドライな力学がたちあらわれてくる。また、そこで起こる解釈項の問題がデューイの研究を促し、道具的・文化的記号選択、反射弧へと受け継がれ、状況による切り換え・選択を繰り返す人間の実生活に当てはめ直される。そして、その習慣論における「傾向」は、モリスの「解釈傾向」へ受け継がれる。モリスは、パースとの類似点が指摘されることもあるが、「解釈傾向」の同機という問題意識からとらえれば、その「価値的意味」の概念は、むしろ本源性への志向として跡づけられるだろう。
記号学の重要なキーワードが多数網羅されている本書は、初心者にとって非常に有用だと思われる。



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【2011/04/20 22:28 】 | | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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