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【2025/04/30 04:49 】 |
児玉清氏の逝去に哀悼を

 
去る5月16日、児玉清氏が亡くなった。私にとって氏は理解したい人間のひとり、やはり尊敬に値する人物であったと思う。
先日、氏の居ないアタック25を見た。何かが違った。その何かを表現することは難しいのだが(たとえば脳の場所で「ここだ」と言える種類の感覚なのかそれは分からない)、きっとあの人は、自身がひとつの鉱脈だったのではないか。そんな風に誰かを見ることは、人生において実に稀な出来事なのであると今になって思う。
さて、だんだん私も年を重ね、死を時折とても身近に感じる。何かであるということと、真実であるということの素晴らしさ。自分のページを誰かに開かれることは悲劇であってはいけない。介在を望まれる人間たれ、そして成長を待たれる人間たれ。


 
 

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【2011/06/25 00:00 】 | Diary | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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