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フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-84)が1973年に刊行した著書。ルネ・マグリットのシリーズ作品《これはパイプではない》が主題的に論じられ、それをもとに15世紀以降の西洋絵画を支配してきた二つの原理の存在が指摘される。その第一の原理とは「言語記号と造形的要素を分離する原理」であり、第二の原理とは「類似と肯定(=断言)との等価性を定立する原理」である。フーコーによれば、マグリットはそうした西洋絵画の二つの原理を逆手に取ることで、「同質性という前提を確保することなしに」「言語記号と造形的要素を結びあわせている」。以上のように、ここでフーコーはマグリットの作品分析から西洋における「表象」システムの分析へと移行しているのだが、このような手つきはベラスケスの《ラス・メニーナス》を仔細に分析した主著『言葉と物』(1966)を想起させる。したがって同書は、マグリッドの作品や絵画一般についての詳細な分析の書であるとともに、フーコーの主要な仕事との関わりにおいても読みうる一冊となっている。
コンセプチュアル・アート アイデアやコンセプトを作品の中心的な構成要素とする動向のこと。1961年にヘンリー・フリントにより、「コンセプト・アート」という名称が初めて使用された。その概念を確定的なものにしたのは、『アートフォーラム』誌に掲載されたS・ルウィットのエッセイ「コンセプチャル・アートに関する断章」(1967)である。「概念芸術」とも和訳されるように、作品の概念や観念的側面を重視するため、言語はもっとも重要な媒体になりうるものであり、批評家のL・リパードはこの傾向を「芸術作品の非物質化」とも定義している。従来の芸術ジャンルの物理的属性に依拠しないという意味では、芸術作品の唯一性や一回性、商業化などへの否定的見解を伴うものであり、特に複製可能で容易かつ迅速に流通しうる印刷媒体などの活用によって意図されていたのは、物質と流通の双方から従来の美術(制度)の改革を行なうことだった。そのため、60年代後半から70年代を中心に展開したコンセプチュアル・アートでは、写真、郵便、ファックス、電話などの流通・情報メディアが頻繁に用いられた。
『今日の芸術』岡本太郎 美術家の岡本太郎の主著。1954年に刊行されるやたちまちベストセラーとなり、その後現在まで長く読まれ続けている。岡本が芸術の根本条件として挙げた「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」は、99年の文庫版に序文を寄せた横尾忠則が証言しているように、当時はおろか現在のアートシーンにも大きな影響を与えている。岡本は本書において、絵はうまく、美しく、快いものであるという価値基準を転倒しようとしたが、そのとき手がかりとしたのが「いやったらしい」である。それは「否応なしに、ぐんぐんと迫って、こちらを圧倒してくるようなもの」であり、「一種の不快感」のことで、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》や古代エジプトの《ツタンカーメン》に認められるものだという。岡本が肯定的に評価したこの「いやったらしい」という暴力性が、たとえば読売アンデパンダン展における「反芸術」に見られるように、戦後の日本美術に与えた影響は計り知れない。文庫版の解説で赤瀬川原平は、57年に来日したジョルジュ・マチュウが日本橋の白木屋で公開制作をした際、荒川修作や篠原有司男、吉村益信ら、後にネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成することになる美術家たちが野次馬となっていたが、彼らの大半が本書を熟読していたという。ただその一方で、とりわけ「うまくあってはならない」という条件が、結果的に技術を相対的に軽視する風潮をもたらしたことも否定できない。
コンポジション 「構造、組立」を意味する言葉であるが、美術用語としては「構図」とされる。語源はラテン語の「構造(Compositio)」。コンポジションという言葉自体、絵画はもちろん文学、建築、音楽などさまざまな芸術で使用されるが、「構図」という意味でコンポジションを捉える場合、主に絵画などの平面的造形芸術における画面構成を意味する。美術におけるコンポジションの意味を遡ると、基本的に古代から「組立、組み合わせ」というような意味で認識され、中世以降もさして変化がないが、17世紀頃になると次のように「配置」との同意化がうかがえる。例えばフランシスクス・ユニウスは、1638年に物した『古代人の絵画』において、絵画の五大要素に「色彩」「運動」「着想」「均衡」「配置」を挙げ、その「配置」、「作品全体を秩序づけること」は、古代の絵画におけるコンポシティオ(構造)とほぼ同意で用いられている。このように長い間、コンポジションは、比例や均衡、調和などの美的形式原理に基づくものであり、作品の統一性を支えるものとされてきた。また現代においては抽象絵画においてカンディンスキーなどによって音楽の影響からコンポジションが使用されているが、これは既述の美的形式原理による伝統的なコンポジションの意味合いを含むものではない。
「サイボーグ宣言」ダナ・J・ハラウェイ ダナ・ハラウェイ(1944-)が85年に雑誌『社会主義評論』に発表した論文。後に単行本『猿と女とサイボーグ』(1991)に収録される。ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』に代表されるサイバーパンクの黎明期に発表されたこの論文は、「すでに現代人はキメラ(=サイボーグ)になってしまった」といった大胆かつ刺激的な命題によって、その後の「サイボーグ・フェミニズム」と呼ばれる動向に決定的な指針を与えた。ハラウェイの「サイボーグ宣言」がフェミニズムと接続しえた第一の理由は、「機械と生物の混合体(=サイボーグ)としての人間」という非自然主義的な人間観が、男女の性差を前提とした生殖=再生産のモデルに対する批判として機能するからである。「サイボーグは、脱性差時代の世界の産物である」という強力な断定を各所に散りばめたハラウェイの議論は、狭義のフェミニズムやポストモダンの議論にはとどまらず広く人口に膾炙しており、アーティストのなかにもハラウェイからの影響を明言する者は少なくない。直接的な交流としては、画家のリン・ランドルフが彼女の著作に挿画を多数提供している。
サンボリスム(象徴主義) 19世紀末のフランスで興った芸術運動のひとつであり、その範囲は詩、文学、音楽、絵画など広範囲に及ぶ。文学の概念としての「サンボリスム」は、『フィガロ・リテレール』に掲載されたJ・モレアスの「文学宣言」(1886)に由来する。詩においてはボードレール、マラルメ、ヴェルレーヌ、音楽においてはドビュッシーやヴァーグナーが代表的な人物として挙げられるが、ここでは主に絵画におけるサンボリスムについて記述する。他のジャンルと同じく、絵画におけるサンボリスムには19世紀末の科学や機械万能主義に対する反発が色濃く反映されている。シャヴァンヌ、モロー、ルドンらサンボリスムの画家たちに共通しているのは、人間の内面的な苦悩や夢想を絵画によって象徴的に表現しようとした点にある。様式的に見れば、それはレアリスム(写実主義/自然主義)に対する反発であったと言えるが、その背後には同時代の実利的な価値観の下での芸術の卑俗化に対する懸念があったと言えよう。同様の傾向はフランス国内にとどまらず、世紀転換期のベルギーやオーストリアなどヨーロッパ各国に飛び火した。また、19世紀半ばのイギリスで興ったラファエル前派(ロセッティ、ハント、ミレイ)は、その態度や様式上の類似からサンボリスムの先駆と見なされている。
視覚性(純粋可視性) 美術作品における視覚的効果のこと。または美術作品の表象が、視覚のみの純粋な生起において把握されるとする芸術批評の概念。彫刻家A・ヒルデブラントの理論に触発されたドイツの美学者K・フィードラーが『芸術活動の根源』(1887)などの著作で展開した。フィードラーは、芸術作品の知覚的把握を個々の感覚器官の活動に準じて生起するものと捉え、絵画や彫刻においては、視覚の活動だけが、その顕われを保証するものとした。カント美学に即して、フィードラーは芸術作品の存在論的把握からそれらを記述するのではなく、逆に、見えること(可視性)の主観主義的立場から芸術経験の可能性を探究する。さらに、ある特定の感覚が他の感覚から分離される芸術経験は、諸感覚の多様な結合のもとに営まれる精神生活や慣習的活動とは区別されるとした。このように芸術作品の経験を、ある特定の知覚=視覚に収斂させるフィードラーの姿勢は、『美術史の基礎概念』(1915)を著わしたH・ヴェルフリンに継承された。ヴェルフリンは、フィードラーの議論を踏まえ、個々の時代にはそれぞれ限定的な視覚形式があり、美術作品の様式は、時代に内在する視知覚を表象するとする「様式史」の立場を採った。
視覚性(ヴィジュアリティ) 作品または認識などの視覚的な性質を指す。1988年、ニューヨークにて「視覚と視覚性」と題したシンポジウムが美術史家ハル・フォスターによって組織された。その記録が同タイトルの論集として出版され、『視覚論』という邦題で翻訳されている。ここで「視覚性(visuality)」は、身体的なメカニズムとしての「視覚(vision)」と区別され、社会的・歴史的に構成されるものとして定義された。そもそも作品様式を区分する上での「視覚的(optic)/触覚的(haptic)」という対概念は、美術史家アロイス・リーグルによって提起され、 美術史家ハインリヒ・ヴェルフリンもまた、これを美術史の様式区分において対比的に扱った。このような議論の延長上で、クレメント・グリーンバーグは、線やマチエールといった触覚的な要素を排除することによって作品にもたらされる純粋な視覚性(opticality)を価値基準のひとつに据え、1950-60年代前半にかけて抽象表現主義を擁護する強い批評的枠組みを形成した。先のシンポジウムでは、こうした近代における視覚の特権性を批判の俎上に載せるため、新歴史主義や精神分析、セクシュアリティなど、多角的な方法論を通じた議論が展開されている。とりわけ主体と客体とを対立的に位置づけるデカルト主義や、その認識論的モデルとしての遠近法などが、共通する検討対象として浮かび上がっている。
『視覚的無意識』ロザリンド・E・クラウス もともとはヴァルター・ベンヤミンが「写真少史」(1931)で使用した語だが、ロザリンド・E・クラウスは1993年の著作『視覚的無意識(The Optical Unconscious)』のなかで、ベンヤミンのこの概念を援用し、視覚芸術の基盤をなす「視覚」と主体との安定した関係を解体する「無形(アンフォルム)」なものの産出を試みた。ベンヤミンは、意識には上らない隠された細部が写真や映像に撮影されることで解明されることを「視覚における無意識なもの」と呼び、それを精神分析における無意識の作用と同様のものであると指摘した。フロイトによれば無意識とは、言い間違いや書き間違いなどによって、人の意識の統制を逃れて徴候的に露呈するものである。クラウスはこの視覚的無意識を、知覚の座標軸が解体され、人間の視覚が、自らが眺めるものの支配者となることなく、見るものに対して侵され滅却される――図と地や空間の内と外の区別が崩壊するような――主体の地面=足元への脱固定化であると論じた。クラウスはバタイユの「低級唯物論」に言及しながら、このような低級さ=低さへと吸収されることが「高貴/卑俗」「形相/質量」などの伝統的二項対立に対して第三の審級を打ち立てる(その意味でデリダ的な)脱構築をもたらすという。したがってこの「低さ」は、視覚的=近代的主体の領野に「別の」批評基準を滑り込ませるものであった。 PR |
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