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【2025/04/30 01:59 】 |
ドイツ観念論とは? 2

 ドイツ観念論が理解されにくいのは、その発想があまりに奇抜だったせいだと思います。ようやく最近にいたって、理解できる客観的状況ができてきました:
 自我が「自らを措定する」という事態を、私たちは「メタ化」(メタ言語の「メタ」)として理解しようとするのですが、met A l A ngu A ge なる語の初出は、ランダムハウス英語辞典によると1936年です。ヘーゲルの「赤色は、黄色や青色が対立するかぎりにおいて存在する」(注2)という講義録を読んでも、構造主義言語学がブームとなったあとの私たちには、違和感はありませんが、そのブームは20世紀も後半でした。
 そして何よりも、廣松渉氏によるヘーゲル左派・マルクス解釈(1970年頃~90年頃)の登場です。家庭の内情は子供に現れるなどと申しますが、ヘーゲル以降の解明が、逆にドイツ観念論理解に与えたヒント・刺激は、じつに大きいものがありました。

 しかし、ドイツ観念論はヘーゲル左派やマルクスによって克服されてしまった哲学ではないか、との疑念がとうぜん浮かびます。これに対しては、次のように考えたいと思います:
 一般的にいって、新しい哲学は、前代ないし当代の哲学を否定して登場することになります。この点は新しい科学理論の登場の場合と同じです。芸術の場合はこれとは違い、新流派の登場は、客観的にみれば新しいものが付け加わってくることになります。もちろん、新人芸術家の主観的心情としては、それまでのものを否定したと思う場合も多いことでしょう。けれども私たちは、古典主義の音楽も、ロマン主義も12音階音楽も、等しく享受しています。
 つまり、哲学の進展があるかぎり、どのような哲学も否定されます。とはいえ、私たちはニュートンのプリンキピアは読みませんが、プラトンや論語は、さまざまにいたるところで否定されてきたにもかかわらず、あい変らず愛読しています。この点では哲学は、芸術に似ています。
 ドイツ観念論もなるほど否定はされましたが、読みつがれ、新しく解釈しなおされていくというわけです(注3)。 余談ながら、ドイツ観念論を否定する思想のどこに不満があるのかをいえば:
 マルクス主義は、生成する歴史にすべてを還元して、社会の永遠普遍の諸側面・変化しないパターンに、視線がいかない、あるいはそれらを認めようともしない点。廣松哲学は、「共同主観性」や「関係の第1次性」を論証した点で傑出しているにしても、それは私たちの観点からすれば、世界の共時的(synchronic)構造であって、世界のいわば通時的(di A chronic)構造(現実の時間的経過は意味しない)である、メタ化構造の把握に弱い点です。(注4)

------------------------------
(注1)シェリングやヘーゲルの自然哲学での具体的議論は、その典型でしょう。しかし、結果的にはともかく、原理的には以下のような構成になっていました:

 「自然哲学(N A turphilosophie)は・・・自然を自立的なものとして措定する。・・・超越論的哲学が [与えることができるような、自然についての] 観念論的な説明の仕方は・・・自然哲学においては行われない。そのような説明の仕方は、自然学(Physik)や自然学と同じ立場に立つ私たちの学問 [=自然哲学] にとっては、意味のないものである。それは丁度、かつての目的論的な説明の仕方や、普遍的な目的原因を、それらによって歪められた自然科学(N A turwissensch A ft)に導入することと、同じなのである。
 「というのも、その固有の領域から自然の説明の領域へと引っぱってこられた観念論的な説明の仕方は、すべてまったくの空想じみた無意味さに堕してしまうのだから。そしてこうした例は、よく知られている。そこで、私たちの学問 [自然哲学] は、すべての真の自然科学がもつ第 1 の格率を――すなわち、すべてのものを自然力から説明せよ――、最大限に受け入れるのである。」(『自然哲学の体系構想への序論』、オリジナル版シェリング全集、第 III 巻、273 ページ)

 そしてシェリングが行った議論は、当時としては最先端のものであり、ゲーテやシラーの賛辞を得たといわれます(『先験的観念論の体系』蒼樹社、昭和23年、赤松元通氏の解説480ページ)。
 現今の認識論を扱った哲学の著作では、相対性理論や量子力学にふれることも多く、私たちは感心しながら読んでいますが、これらもあと50年もたつと、シェリングやヘーゲルの自然哲学と同じ、いやよりひどい運命をたどらぬとは限りません。(戻る)

(注2)『エンチクロペディー』、42 節の補遺 1。(戻る)

(注3)過去の偉大な思想を、現代において解釈しなおすとは?→参照  (戻る)

(注4) 廣松渉氏の代表的著作である『存在と意味』、および『世界の共同主観的存在構造』を見ても、およそ根源的運動(いわゆる弁証法的運動など)は登場しません。むろんこのことを以って、すぐさま氏の哲学の欠点とするのは、無体というものでしょう。それに、氏の意想を忖度すれば――
 前記の両著作で展開している認識論・存在論は、まだ哲学体系の端緒というべく、その意味で抽象的なものにすぎない。それらが具体的・現実的なものになるのは、そこからさらに上降した歴史的な実践の場においてである。この実践の場においては、共軛的諸個人の活動が、共同主観性を形成している。この共同主観性こそが、おもに生産関係と生産力との 2 大要因の関係によって、生成変化の根源的運動をするのである、云々。

 しかしながら、上記のような氏の意想(?)を承認するとしても、私たちの立場からすれば、抽象的端緒において根源的運動はどのような表現をとるのか、ということが説かれなければならなかったと思います。それは氏の論述に即せば、「反省」においてです(『存在と意味』1982年、138頁から)。ここでの氏の議論は秀逸なものですが、しかし、141 頁にあるように、 反省によって加わるとふつう考えられている "自己意識" は、その場のたんなる「パースペクティブな布置の覚識・・・に他ならない」とされます。つまり氏によっては、"自己意識" 以前と以後との質的相違が――すなわち、私たちの観点からすれば根源的運動の引き起こす相違が――、説かれません。氏の用いた例を援用して説明すると:

 「映画に熱中していてハッと我に返った場面を想定されたい。スクリーンの範囲だけで比較すれば、対象的意識内容には別段変化がないように思える。しかし、今では、それまで見えていなかったスクリーンの両袖、観客席、・・・それにこの ”身体” も意識野内に登場している。対象的意識野に明らかな変化が見られるのである。・・・
 「[ハッと我に返る] 反省において塁加する “自己意識” なるものの実態は、このパースペクティブな布置の覚識([つまり、] ”この(視座的)身体<これは・・・物理的肉体の謂いではない>への帰属の覚識)にほかならない」。

 氏のこうした主張は正しいにしても、しかし私たちとしては、「ハッと我に返る」以前には映画の世界に没入していたのに、以後は日常世界に戻っている、という重要な相違を指摘したいわけです。(この論点については、拙稿『多世界の生成と構造』の第1章を参観下さい)。
 また氏によっては、セルフレファレントな “自己意識” は、必然的に存するという扱いにはなっていません。したがってその必然性の構造なども、問題外のままです。(戻る)

(注5) 他方では例えば岸駒(がんく)のように、高位に昇り、財をなし、長寿をえても、今日では専門家と好事家の注意を引くにとどまる人もいます。私もはじめて彼の若い時の絵に接したときは、そのセンス、技術、そして覇気を目にして、「すごい」と感嘆したものです。しかし、今から思えば、画中の人物が、今ひとつ面白くなかったようです。水墨画の人物像には、画家の志や人生観が現われやすいだけに、今となっては「やはり・・・」と納得するのですが、後知恵というものでしょうか。
目次へ

 3人のそれぞれの特色は?

  まずよく言われる、フィヒテ「主観的観念論」、シェリング「客観的観念論」(注26)、ヘーゲル「絶対的観念論」という特徴づけは、公民・倫理的な知識としてならともかく、哲学的にはあまり意味があるとは思えません。といいますのは、主観的とされるフィヒテにせよ:

1) 彼の自我には「実在性の絶対的な総体が帰属する」(注1)のですから、その自我を主観的と見なすのは早計です。
2) 彼の自我は、デカルト的な私の意識といった主観的なものではなく、「自我と自己内への帰還の行為は、まったく同じ概念である」(注2)と言われるように、メタ化運動をする主体ということに力点があります。したがって、そのような主体を主観的と、まず決めつける必要はありません。
3) なるほどフィヒテは、「意識」という用語を多用することから、彼の哲学は主観的なものだと見なされがちです。しかし、彼が賞賛した先輩のラインホルトの「意識」を、ここで想起すべきだと思います。
 ラインホルトの有名な意識の命題「意識のうちで、表象は、主観によって主観と客観から区別され、そして主観と客観の両者へ関係づけられる」が表しているように、意識はたんに表象(いわゆる意識内容)や主観の働き(意識作用)のみを指すのではなく、客観(物自体)をも包含する、何か大変大きいものを意味しています。むろん、そのようなものがありえるのか、という疑問は残ります。しかし、ラインホルトによって、従来的な主観性に局限されない新しい意識の語法が、生じたとは言えるとおもいます。
 私たちは、この意味での意識の語法をフィヒテは使っており、またシェリングやヘーゲルも継承したと考えます。(注3)
4) フィヒテは、読者に対して彼の哲学(例えば自我の自己措定)を説明するという姿勢のときには、読者自身の内観に訴えるなどしています。そのときは、たしかに彼の哲学は主観的あるいは心理主義的色彩をおびてきます。 (注29)
 けれどもこれは、新しい思想を説明せねばならぬとき、古い用語を使ってなんとかコミュニケーションをはかろうとする、努力の表れといえます。ちょうど子供にクジラを説明するとき、「海に住んでいる、一番大きなお魚さん」というようなものです。

 というわけで、最初のフィヒテを小さく「主観的」とし、それを段々と拡大深化ないし無条件化していったのが、シェリングの「客観的」(注28)およびヘーゲルの「絶対的」だとする見方は、私たちはとりません。むしろ、「①ドイツ観念論とは?」の(2)で述べましたように、3人ともメタ世界論者であってみれば、、彼らの特色はそれぞれにおけるメタ化のありようの違いに、以下求めていきたいと思います。

● フィヒテでは:
全体者である自我( A とします)は、自己「対立(Widerstreit)」の契機を持ちます。そのことにより、自己措定をするのですが、措定してできた B, C, D・・は、すべて A から直接生じるといえます。これらは、それぞれが全体的な世界です。後期の代表作『幸いなる生への導き』では、低次の感覚的世界から最高次の学問的世界まで、5つの世界が生じます(注4)。
 そして、「生を見る見方の可能性は、数において上記の5つのあり方 [1. 感覚的世界~5. 学問的世界] に限られている」(注5)と言われるように、そのうちのどれかは常に生じてきています;しかし、「上記の5つの観点は…すべての時点を満たすことに関して、同様に可能なものとして措定されている」ので、どの世界になるのかは必然的には決まらず、これらのうちのどれも生じる可能性をもっています。(注6)

 ただし、体系をなす知識学の叙述は、「循環(Kreislauf)」をすると主張します。「私たちが出発したところの原理が、最終の結果ともなる」わけです(注27)。

● シェリングでは:
絶対者 A 自体の中に絶対的な「対置(Entgegensetzung)」があり、そのため A は産出の運動(自己措定)をすることができ、B, C, D, ・・・が成立します(注7)。(この点では、フィヒテの「対立」を一歩進めた形になっています)。
 ところが直接的には、C は B から、D は C からと、個別者から個別者へ継続的に―― in Continuität, Evolution, Succession などの語句が使われています(注8)――生じます。すなわち、B, C, D などの各「産物は、ふたたび [後続の] 諸産物へと分解」するのです(注9)。 このことを可能にさせた点に、彼の自然哲学の意義があるといえます。

 さらにシェリングは、こうした産出の論理を、絶対者の自然の側面を扱う自然哲学から、絶対者の知性(das Intelligente)の側面を扱う観念論哲学にも及ぼします。すこし長くなりますが、有名な『超越論的観念論の体系』(1800年)から引用しますと:
 「観念論をその全広袤において叙述するという、著者 [シェリング] の意図を実現するための手段は、以下のとおりである:哲学のすべての部分を一つながりに、・・・そして自己意識の継続定な歴史として・・・述べたことである。
 「この歴史の正確かつ完全な輪郭を描くことにさいして、とくに重要だったのは、この歴史の個々の時期(Epochen)や、これらの時期がもつ個々の契機を正確により分け、なおかつ一つの連続性において(in einer aufeinanderfolge)表すことだった。この連続性のもとで、人は方法 [前述の手段] そのものによって――この方法によって連続性は発見されるのだが――、確信できるのである:「必然的に存する中項 [中間に存する時期や契機] は、何一つとして省略されてはいない」と。・・・
 「特に著者をして前記の連関――この連関はもともと直観の段階的発展(Stufenfolge)なのであり、この段階的発展によって、自我は最高のポテンツにおける意識へと、高まるのであるが――の記述に、精力を費やさしめたものは、だいぶ以前から抱懐していた自然と知性(das Intelligente)との並行論(Parallelismus)であった。この並行論の完全な記述は、超越論哲学だけでは、あるいは自然哲学だけでは不可能であって、ただ両哲学相まって可能なのである」。(注18)

 つまり私たちの観点からすれば、C, D 以下のメタ世界が、それら以前の個別的諸世界から生じるようになったと言えます。とはいえ、C, D 以下が何によって生じるのかといえば、それは絶対者 A のもつ諸ポテンツ(量的差異のある勢位)が現実化することによってです。つまり、絶対者の規定性(ポテンツ)から直接にC, D 以下が生じています。(絶対者の規定性そのものは、私たちの経験的世界には現れません。この点では、カント以来の超越論的観念論の枠内にあるとも、言えます)。
 そしてその進行の結果、出発点 A と終局点は同じになると、シェリングは主張しました。(注10)
  しかしながら、超越論的観念論と自然哲学という2分野そのものは、並置されたままです。上記引用文のすぐ後の箇所に、超越論哲学と自然哲学は「2つの永遠に対置される学問にほかならず、決して一つのものに移行することはできない」(注25)と、書かれてあるとおりです。この点は、スピノザの実体の2つの属性である物心の並行論を、思わせます。シェリングも、当然スピノザを意識していたことでしょう。

 ところで、後期のシェリングにおいても、上記のような論理構成は変わっていません。例えば、 A が自己措定して現実的存在である B が生じるという論理は、『人間の自由の本質』(1809年)においては、世界(超越論的観念論と自然哲学の扱う対象)にのみならず、なんと神にも適用されています。(注24) 根拠としての神、すなわち神のうちの自然( A )が、存在(Existenz)としての神(B)を産出するのです(注15)。
 また、個別者から個別者が継続的に生じるという論理は、『啓示の哲学』(1831年の講義草稿)では、「エデン(B)→神話(C)→啓示宗教(D)」という展開に生かされています(注16)。

● ヘーゲルでは:
 B → C → D → ・・・ A → B と円環状に、また必然的に進行するのは、B, C, D それぞれの個別者が持つ自己矛盾によると主張しました。つまり、直接には各個別者がもつ規定性(の矛盾)によって、C, D 以下が生じるのです(注20)。(個別者が持つ規定性は、当然のことながら私たちの経験的世界に現れます。この点で、カント以来の「超越論的」発想が登場する余地はなく、「超越論的観念論」はヘーゲルによって絶たれたと言えます)。
 したがって、全体(=絶対)者のもつ個別的な諸契機も、シェリングの場合には量的な差異であるポテンツという全体者自身の規定性でしたが、ヘーゲルの場合には、例えば精神の現象学では、「意識の [個別的な] 諸形態」になります(注17)。
 ヘーゲルがシェリングを批判するのも、この点においてです。ローゼンクランツによれば:
ヘーゲルは「シェリングの偉大な功績を暖かく称賛したが、しかしヘーゲルは、まったくの無差別としての絶対者内の対立(Entgegensetzung, 対置を、たんに量的なものとして区別(すべては、一方の要因が他方の要因より優勢だということであって、真の区別ではない)することについては非難した。また、弁証法の欠如を非難した。弁証法は、プラトンにあってはすべての内容に伴っていたのであり、シェリングはこのこと以外では、少なからずプラトンとは似た点があったのだが。・・・シェリングについてのこのような意見が、ヘーゲルの決まり文句となった」(注21)。

  そして、ヘーゲルにあっても全体者である一者のもつ諸契機は個別的な(全体者に対して)諸形態ですが、しかしそれらは1つの循環運動をすることになります。そこにおいては、ヘーゲル哲学を構成している論理学、(形而上学)、自然哲学などの諸分野が、並置されずに、1つの循環過程に置かれているのです。そのような構図はすでに、1801/02 年の講義草稿において取られていますが、前記の分野に加えてさらに精神哲学と宗教・芸術が増設されています。
 そして神も、ヘーゲル哲学においては特定の領域を占めることはなく、この1つの循環の総体が神だとされます。

 ところで個別者の自己矛盾という観点から、フィヒテの『幸いなる生への導き』第5講義に見られるような諸世界観を展開するとき、『精神の現象学』が誕生することになります。(注14)

 しかし、それでは絶対的全体者の A が必要ないかといえばそうではなく、個別者 B, C, D, ・・・は A から存在性を与えられているとする点では、フィヒテやシェリングと同様です。そして、各個別者における自己矛盾とは、私たちから見るとき、それぞれが持つ個別者の契機と、全体者の契機の矛盾にほかなりません。あるいは、個別的契機どうしの矛盾も、全体者のうちにおいて生じているのです。
 結局、フィヒテ以来の自我 A の自己措定というモチーフは、ヘーゲルにおいても保持されており、絶対者が「現実的であるのは、それが自己措定 [B, C, ・・] の運動である限り」においてである、ということになります。(注12)
 ではなぜヘーゲルは、各個別者が自己矛盾を持たざるをえないと発想したのか(注13)、という問題が残ります。文献的には、あるいは事実上はこの問題ははっきりせず、諸説あります。しかし、思想史的には:
フィヒテ以来、真の全体者 A は自己対立(矛盾)に付きまとわれてきましたが、、ヘーゲルに至って、 A が自己措定した B, C, ・・も、( A = B, A = C,・・ですから)当然のことながら矛盾を有すると、考えられるにいたった。
――このように見るのが、妥当だと思われます。

 なお、はやくも1800年には個別者の存在を、関係態に帰しているのが注目されます(注19)。そして、1804年に書かれたとされる草稿では、構成諸要素(Glieder)とそれらの間の諸関係とは、等しいとされています(注22)。
  そしてこの諸関係の総体――といっても寄せ集めではなく、順次に発展していく関係態の総体――が、ヘーゲルの「全体性・統一性・普遍者・絶対者」です。これら関係態は、具体的には構成要素間の移行運動として現れることになります。
 構成要素(個別者)は一応実在するのに対して、関係態は観念的あり方をしているといえるでしょう。そして実在するはずの構成要素も、すぐに移行運動の内で止揚されます(これは、構成要素の存在性が、総体の関係態のうちに、すなわち運動を本質とする関係態のうちに、あるためです)。そして、1つの契機として保存されます。つまり構成要素も、1つの観念的な関係態としてしか存立しません(注23)。
 このようなヘーゲルの観念論をみるとき、ヘーゲル哲学を 「実体主義から関係主義への移行期」としか捉えないのでは、やはり不十分でしょう。この哲学は、実質的には関係主義に立脚しているのです。またそこに、ドイツ観念論内でのヘーゲルの位置づけがあると思います。

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【2012/10/30 04:27 】 | data | 有り難いご意見(0)
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