出典
http://ntaki.net/di/7q/index.html#1
ドイツ観念論とは?
フィヒテが、「自我は、みずからを措定する」と主張したとき(1794年)にはじまった世界観で、
・シェリングや(絶対者とは、自己の外へ出て行くという、永遠の行為に他ならない)、
・ヘーゲルによって(実体は主体である)、
展開しました。(注10)
3人に共通な考えは:
全実在性をもつもの(自我、絶対者、実体など)が自らを多重化することによって、その実在性は現実化される。そしてその多重化は、またもとの1つのものに戻るというものです――しかし、これでは何のことか意味不明ですので、フィヒテから見ていきましょう。
(2) フィヒテの自我(1) 基本的な発想
上記のフィヒテの自我は、私たちがふつう考えるような、「私」としての個々人の自我ではなく、「すべての実在性をもつ」(注12)ものです。現代哲学の用語で言えば、「共同主観性」(廣松渉)が案外近いかと思います(注11)。ここでは簡単に考えて、すべての実在性をもつことから、世界全体だと理解しておいていいでしょう。
そこで、世界(あるいは伝統的用語でいうと、「実体」、「存在」)が、自己措定することこそが世界そのものであると、フィヒテは発想したわけですが、これが、ドイツ観念論の基本モチーフになりました。
(しかし注意したいのは、上記の措定する自我は、経験に直接現れることはないということです (注1)。といっても、想像上のもので、仮定されたものでしかないというのではありません。
例えば「日本語」をとり上げてみますと、これは英語や独語などと共に確かに存在します。また考察の対象ともなりえます。文法はどのようになっているかとか、単語には何々があるとか。しかし、日本語そのものを私たちの眼前に、一挙に現象させることは不可能です。もちろん、文法規則や単語を細大もらさず記述することはできるでしょう。しかしそれは、日本語文法や日本語単語の現象であっても、日本語の現象ではないのです。したがって、現象する(使われる)のはつねに日本語の一部、あるいは正確にいえば一例であって、日本語そのものは超越論的(transzendental, 先験的とも)なままにとどまります。
同様に、フィヒテの「措定する自我」を「世界」として理解するといっても、経験的な世界ではありません)。
(2) 私たちの現代的理解
だがこれはいかなる事態なのでしょうか。表面的にみれば、世界(存在)を静的なものとしてではなく、動的なもの・つねに創造的過程にあるものとして捉えることになります。しかし、たんに世界は不断の変化・生成のうちにあると観ずるだけでは、ドイツ観念論が世界哲学史に残るようなことはないわけです。それに、運動や変化といっても、物理的・心理的変化ではありません。
(ドイツ観念論の代表作のひとつは、「自然や有限な精神を創造する以前の、永遠の本質における神の叙述」 (注2)であるヘーゲルの『論理学』です。またもともとのフィヒテの自我の活動にしても、時間とは関係がありません (注3)。 したがって、あえて平板に、今様に言えば、意味論的な展開・運動だということになります。なお、後述するように私たちの立場からは、この運動は「メタ化運動」だと言えます)。
身近な例をとれば、言語学でいうメタ言語の「メタ」(「超える」とか「上位の」という意味のギリシア語から)が、自己措定にあたると思われます――つまり、フィヒテなどが自己措定を発想する仕方は、私たちのメタ言語の見方と似ています。メタ言語というのは、「対象 [例えば、"木" や "愛情" など諸々の事柄] について述べる言語を対象言語(object language)というのに対して、対象言語の表現内容について述べる言語。高次言語」(広辞苑)のことですが、簡単に言えば、言語自身を対象として述べる言語です。
たとえば、日本語( A )の文法的特長をしらべて、「日本語では、目的語は動詞の前に置かれる」(B)と述べたとします。この B の言語はやはり日本語ですが、しかし、同じ日本語 A を対象として述べています。A と B は階層(次元)を異にする別々な言語とみなせます (注4)。このような自己言及的な言語 B が、 A のメタ言語です。(注5)
ところで、B はどこから生じたのかといえば、 A の日本語からです。あたかも言語的意味性すべてを有する(――日本語話者にとっては) A が、みずからを措定して B になり、自らに対している(für sich, 対自)かのようです。
そして、 A , B 両者をみると、B も日本語ですから、 A に含まれるとみなせます。このとき B は A に帰還する構図となります。しかも、B がはじめて述べられたときには、もともとの日本語 A に B は現実的にはなかったのですから、 A は以前より豊かになったともいえます。こうした事態は、ドイツ観念論がいうところの自己措定(外化)と自己内への帰還の構図と(注13)、よく合致します。(注6)
そこで私たちは、ドイツ観念論を現代哲学の立場から見るときには、世界のメタ化論、あるいはメタ世界論(met A cosmism, Met A kosmismus)と捉えるわけです(注7)。
ではなぜドイツ観念論を、フィヒテ以来の用語を使って、「自己措定」論と称さないかということですが、シェリング(とりわけヘーゲル)になりますと、自我(絶対者)の自己措定ということが、哲学体系を叙述する上からは必要なくなるからです。各世界は、前の世界から直接生じることになります(この点については、「③ 3人のそれぞれの特色は?」を参照してください)。
(3) 根本的な特徴
さて、世界 A がメタ化し、世界 B が生じます。あるいは、自我(実体、存在) A が自己措定して、B が生じます。この A は「すべての実在性」を持ちますから、精神的な能知の契機も含んでいます。したがって、 A は認識する主観として、B を認識の対象とすることになりますが、B は自己自身ですから、ここに生じている意識は自己意識だといえます――と、一応はこのように、ドイツ観念論を理解することができますが、このままでは誤解のおそれがあります。
近代的な認識主観(デカルトのコギト、カントの物自体としての心など)とはことなり、上記の A はそれ自体としては現実的に存立していません。また、B もそれ自体としては、対象的な世界たりえないのです。現代的に表現すれば、 A と B の関係態のうちにおいてのみ、認識主観は存するし、自己意識としての対象世界も成立しているのです。「世界(自我)が自己措定することこそが、世界そのものである」と最初に述べたのは、このような意味においてです。
このことを説明するために、また言語の例を持ち出せば、私が「今日は暖かい」(上記の B)と書いたときに、それがインクのシミとしてではなく、意味を持った言葉として理解されるのは、日本語を解する人に対してだけです。つまり、日本語(上記の A )を有する話者主体がいなければ、「今日は暖かい」は言語たりえません。逆に、書かれたり、話されたりした B, C, D,・・・なくしては、日本語 A は存在しないことになります。
したがって日本語が真に成立するのは、 A と B (C, D,・・・)との両方が存在することによってです。しかも両方が無関係だったのでは、それぞれ片方しかないのと同じですから、両方は相互に照合していなければならないわけです。(注14)
ただし、 A と B との関係は、いわば同じ平面上で並列的に、一つのものが半分ずつに分裂したとか、一方がコピーされて他方ができたようなものではありません。2つは、対応関係をともなってはいるが次元が違うという、メタ関係にあります。このことをフィヒテは、後期の代表作『幸いなる生への導き』(1806年)では、内容上の劈頭で次のように述べています:
「愛は、それ自体としては死せる存在を、いわば2重の(zweim A lig)存在へと分かつ:この死せる存在を、自らの前に立てながら。そして愛はこのことによって、死せる存在を自我に、すなわち自己にするのである。この自我は自らを直観し、そして自らについて知る。・・・愛は再び、分かたれた自我をもっとも緊密に統一し、結合する・・・」。(注8)
一般向けの宗教講和ですから、「愛」などの用語がでてきますが、注目すべきは、「2重の(zweim A lig)」の用語が使われ、たんに並列的なものをイメージする「2つ(zwei)」の用語ですましてはいないことです。また「自我」は、分かたれた2つの存在のどちらかを指すのではなく、2つとも含んでいます。そして自己知というのは、分かたれている事から生じています。
こうして、「メタ化した項との間に、つまり2項間の関係態に、存在性を見る」(注9)ことが、ドイツ観念論の根本特徴だと言えると思います。
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(注1) 弱冠20才のシェリングは、さすがにこのことをよく理解していました。『全知識学の基礎』(1794年)の出版された翌年に、彼が著した「哲学の原理としての自我について」では、「絶対的 [措定する] 自我」は対象にはなりえない」と、言われています。(シュレーター 版シェリング著作集、第1巻 91ページ)。(戻る)
(注2) 『大論理学』、ズーアカンプ版第5巻44ページ。(戻る)
(注3) 『全知識学の基礎』、SW版フィヒテ全集、第1巻、134ページ。
このように、原理的な場面で、行為や出来事の前後関係を、現実的時間の概念とは関係なく設定することは、よくあることです。フィヒテの先行者ラインホルトも、「意識のうちで、客観と主観に関係づけられるものは、時間においてではなく、その本性にしたがって(seiner N A tur n A ch)、関係づけられる行為より以前に、存在しなくてはならない」などと言っています。(拙サイトの『アイネシデモス』紹介ページを参照)
ちなみに S. マイモンによれば、「感覚と想像力 [構想力] は、時間のうちで働く」が、「高次の精神力(悟性と理性)は、時間のうちでは働かない」。(『哲学辞典』"Ich" の項目、1791年のオリジナル版、63-65ページ)
むろんカントにおいては、「空間と時間は、ただ感官 Sinn においてのみ存在し、感官以外では現実性をもたない」(『純粋理性批判』 B 版、148ページ)。(戻る)
(注4) 両者を混交すれば、「あるクレタ島人いわく、『クレタ島人はウソつきである』」といった自己言及文のパラドックスが、生じることになります。(戻る)
(注5)メタ言語は、それが対象にしている言語とは別の言語や記号体系でもかまいません。例えば英語の文法規則を日本語で述べたときには、その日本語はメタ言語です。しかしこの拙論では、両者が同じ言語の場合を想定して説明します。(戻る)
(注6) 本当は事態が逆なのです:なぜメタ言語が成立するかといえば、意識がメタ化するからであり、その意識を共同主観性のようなものだと考えれば、つまりは世界がメタ化しているからです。
ただし言語においては、自己言及的メタ言語は例外的であり、ふつうの言語は、例えば「道を人が通る」「三角形の内角の和は180度である」のように、言語外の対象を言及する対象言語です。ところがドイツ観念論においては、自我(世界)外に存在するものはないのですから、その自己措定はつねにメタ世界になります。(戻る)
(注7) このメタ世界論を現代的に発展させた、多世界論(pluricosmism)を標榜したものとしては、拙稿「多世界の生成と構造・・新しい世界観を求めて」があります。(戻る)
(注8) Die A nweisung zum seligen Leben, SW版では第5巻,402ページ。
後期の宗教講和といっても、フィヒテによれば、それは彼の「哲学的見解」の「成果」なのであり、その哲学的見解は「13年来いかなる点でも変わっていない」、つまり『全知識学の基礎』を発表した前年の1793年以来変わらない、とのことです。(同、399ページ)(戻る)
(注9)「2項間の関係態に、存在性を見る」と、あいまいに表現しましたが、この事態をどのように理解し説明していくかが、ドイツ観念論研究の要諦とも言えます。ちなみに、シェリングは次のように述べます:
「主観と客観への実在性 [=自我] の分割は、主観と客観の両項の間に浮動する第3項、すなわち自我の活動によらずしては、まったく不可能である。そしてこの第3項はといえば、2つの対置する両項自体が自我の活動でなければ、不可能なのである」。(『先験的観念論の体系』、オリジナル版 (1800年)では、、91 ページ)
ついでながらこのシェリングの発言は、(廣松氏風に言えば)項に先立つ自我の活動 [メタ化運動] の一次性を表しています。(戻る)
(注10) これらの有名な語句の引用は、
・フィヒテ: 『全知識学の基礎』(1794年)(Meiner 社、哲学文庫版 1997 年、16 ページ)
・シェリング: 『自然哲学論考』序文への付記(1803年)。(M A nfred Schröter によるシェリング著作集、第1巻、713ページ)
・ヘーゲル: 『精神の現象学』「序文(Vorrede)」(1807年)(Suhrkamp 社、ヘーゲル著作集、第 3 巻、23 ページ)。ただし原文は、「私の考えでは、すべては次のことにかかっている:真なるものをたんに実体としてではなく、主体としても把握すること。」このテーゼの真の意味については、拙『哲学用語の解説』の「実体は主体である」を参照ください。(戻る)
(注11) フィヒテの自我のシェリング版である絶対者について、シェリングは次のように述べています:「主観的なものでもなければ客観的なものでもなく、ある論者の思惟でもなければ、誰かの思惟でもない、それはまさに絶対的思惟である」。(『自然哲学論考』序文への1803年付記。(M A nfred Schröter によるシェリング著作集、第1巻、711ページ)
コギトとしての個人のものではない思惟、しかもたんに「主-客」図式の主観の側にのみかかわるのではない思惟ということですから、こうした自我・絶対者を共同主観性として、まずはみなせると思います。
むろん、見なさなくてもいいのですが、少なくとも次のことまでは主張したいと思います:ドイツ観念論の「絶対者」は荒唐無稽なものではなく、「共同主観性」の例から類推できるように、現代の理性によっても理解可能であると。
ちなみに、ドイツ観念論では、観念的なものや概念、知といったものを第一義としますが、むろんこれらは、いわゆるプラトン的なイデア界にあるのではありません。個物に即して存在します。そしてこれらは、廣松渉氏のいう認識対象の<所識の契機>、すなわち、共同主観性を成立させるゆえんのイデアールな契機と、似かよっています。といいますか、廣松氏がこれらを絵解きしたような案配となっています。
つまり――以下の説明はすこし難しくなり、哲学中級者のためのものです。要は、個別と普遍の関係のあり方です。一応分かっていただければ、アマ 2 段くらいでしょう――、廣松哲学の中枢をなす四肢構造論によれば:
例えば、愛犬のポチが散歩している姿を、私が認知するという事態は、視覚象(すなわち、散歩している犬という 1 つのレアール [独: real, 英: real, 日:実在的] な像。ある場面のポチの感覚的な像。射影像。)を、ポチという対象像(ポチだとして把握された像)として、認知するということです。
問題はこの対象像ですが、それは過去のポチの射影像の記憶とか、いくつかの射影像を平均してできた心像ではありません。そのような心像を形成することなく、私は散歩するポチを見て、直覚的にポチと認知(把握)します。すなわち、ポチの対象像を得ます。
たとえ過去に私が何らかのレアールな心像を、ポチを見ることによって形成したことがあったにしても、ポチの対象像があらかじめ存立していないことには、「散歩しているポチの射影像(視覚像)は、前記の形成されたポチの心像と同じものである」と、つまり射影像は<ポチ>の 1 相貌だと、認知しようがないのです。つまり、「<ポチ>の」と分かるためには、対象像が必要なわけです。
さて、対象像のポチは、さまざまなポチの射影像において存在していますから(あるいは、各ポチの射影像はポチの対象像を懐胎していますから)、普遍的です。また、射影像は前向き・横向きなどさまざまに変化しても、ポチそのもの、すなわちポチの対象像は不易的で、また遍在的(超場所的)でもあります。このような普遍的・不易的・遍在的な性質をまとめて言えば、イデアール(独: ideal, 英: ideal, 日:理念的/観念的/典型的)となるでしょう。
以上をまとめますと――イデアールな対象像は、「原基的な場面では、[過去のポチの射影像の] 比較・校合とか、分析・綜合といった比量的な手続きで形成的に認知されるのではなく、それに先だって端的に覚識されるのであるから、対象的個体というイデアールな「所識」の認知はアポステリオリではなくして謂わば ”アプリオリ” である」。(『存在と意味』、岩波書店、1982 年、85 - 86 ページ)
一方、ドイツ観念論のシェリングは次のように述べます:
「概念 [前記の廣松氏の例では、ポチの対象像に相当] の起源については、ふつう次のように説明されている:『いくつかの個別的な直観により、特殊な規定を捨象して、一般的なものだけを残すことによって、私たちに概念 [例えば、木] が生じてくる』と。
「しかしこの説明が表面的であることは、すぐに明らかとなる。というのは、この説明にしたがえば、『いくつかの個別的な直観 [例えば、桜の視覚象、梅の視覚象、柿の視覚象]』を相互に比較しなければならない。けれども、すでに概念によって導かれているのでなければ、どうしてそのようなことができよう。なぜなら、私たちに与えられている諸対象 [桜、梅、柿の視覚象] がまだ概念になっていないときに、こうした諸対象が同じ種類のもの [木] であると、どこから知るのであろうか。
「したがって、いくつかの個別的対象から共通なものを取りだすという、上記の経験的な方法 [いわゆる科学的帰納法] は、共通なものを取りだすためのきまりを、すなわち概念を、したがって上記の経験的な抽象能力より高次のものを、それ自身すでに前提にしているのである」。(『超越論的観念論の体系』、オリジナル版、S. 288f.) すなわちシェリングも、概念はアポステリオリではなく、アプリオリだと主張しているのですが、フィヒテにおいても同様な発想が、『全知識学の基礎』に(SW版、Sämtliche Werke, I, S. 104f.)あります。(この点については、拙稿「科学的帰納法へのドイツ観念論からの批判」を参照)。
こうして、イデアールな概念の存在や重要性を認めるところまでは、ドイツ観念論も廣松哲学も同じです。とはいえ後者はマルクスの後をうけているだけに、どのようにしてイデアールな概念・形象は形成されるのか、ということを解き明かします。すなわち、それらイデアールな形象は個人にとってはアプリオリに表れるとしても、実は共同主観的な形象であり、社会的協働を通じて生み出されたものだというわけです。(戻る)
(注12) 「自我は自ら自身を規定する、と言われる限り、自我には実在性の絶対的な総体が帰属する。自我は自らをただ実在性としてのみ、規定できる。というのも、自我は端的に実在性として措定されているからであり、自我のうちには何らの否定性も措定されていないからである。」(『全知識学の基礎』(1794年)SW版フィヒテ全集、第1巻、129ページ)。
ところで、このような「全実在性をもつもの」を、フィヒテが確信をもって主張することができ、またシェリングやヘーゲルがそれにすぐコミットできた理由の一つとしては、彼らの念頭にスピノザの「実体」があったことが挙げられます。18 世紀後半の「汎神論論争」以来、スピノザは「死んだ犬」ではなくなっており、気鋭の哲学徒たちは多かれ少なかれ彼の「実体(神即自然)」に、心引かれていました。
「ただし・・・」という留保を付けつつも、ドイツ観念論の 3 人も同様でした。フィヒテが 1794 年に『全知識学の基礎』を著し、翌年シェリングが『哲学の原理としての自我について』を公にした頃、フィヒテは述べています:
「私は彼 [シェリング] の出現を喜んでいます。特に彼がスピノザに目をつけたのは私には好ましいことです。私の体系も、スピノザの体系から最も適切に解明されうるのです」。(フィヒテからラインホルトへの、1795年 7 月 2 日付の手紙。この手紙には、「シェリングの著書は、私がそこから読み取りえた限りにおいては、全く私の著書の注釈です」という有名な一節があります。なお、テキストを入手していませんので、これらの引用は、R・ラウト著『フィヒテからシェリングへ』(隈元忠敬訳、以文社、p. 17)よりの孫引きです)。(戻る)
(注13) 「対自」とか「自己内帰還」といえば、ヘーゲルの用いた術語として有名ですが、もともとはフィヒテの用語です。例えば、
「対自」は:『知識学への第2序論』(1797年)、SW版フィヒテ全集、第1巻、458ページ、等 。
「自己内帰還」は:『全知識学の基礎』(1794年)、同上、第 1 巻、134 ページ; 『知識学への第2序論』、同上、第 1 巻、458 ページ、等。(戻る)
(注14)このことをフィヒテから言えば:
「規定されえる(有限な理性の普遍的な(universell))意識なくしては、規定されている(個人的な)意識を持つことはまったくできませんし、逆もまたそうです。この法則は、有限性にとってはまさに原理なのであり、この変換点(Wechselpunkt)が有限性の立脚点なのです」。(1801 年 5 月 31 日付のフィヒテのシェリング宛手紙。『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』、1856 年版では 87 ページ)
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ドイツ観念論は、現代でも通用する合理性を持つのか?
たしかにドイツ観念論の巨樹には、枯れ枝となってしまった部分、もともと枝ぶりの悪かった部分もだいぶあります(注1)。しかし、直接の関係者が亡くなって100年以上たつのに、また、政治・経済的圧力をもつ教団・政治組織などはないにもかかわらず、世界史上に残っているようなものは、やはりそれ自体大きな価値をもつと、まずは推測できます。
(高校の日本史で登場する江戸時代の画家たちでさえ(注5)――などと言ってはいけないのですが――、その代表作を観ると、私などは感心してしまいます。泰西名画があれば玉堂はいらない、とはならないわけです。ましてやドイツ観念論の場合は、世界哲学史上に大きな位置を占めていますから、単純な否定は、ちょっとムリでしょう。)
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