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28先日、庭園の手入れのように書棚を整理していたら、ふと目に留まった。「ねじまき鳥・・」を書いたばかりの村上春樹と絶えず新しい視覚を提供し続ける河合隼雄の対談集で、いままでよりも大きな社会に投げ出される者の考えるであろう問題意識のとっかかりが至る所に示されている。そういえば、なんだろう。この本を読んでからやたら”デタッチメント”という言葉を用いるようになったっけ。もう少しいい生き物に変われないだろうかなんて心のそこで思いながら。つたないものにもだんだん確信を持たされてゆく、人間的魅力に裏付けられた愉しい会話に、人生のペーソスや作家的視点がにじみ出ており、すっかり読みふけってしまった。気がついたらもう朝ぼらけ、猫がそばで眠っていた。 「自分でもうまく言えないこと、説明できないことを小説というかたちにして提出してみたかったということだと思うのです。それはほんとうに、ある日突然きたんですよ。・・それが結果的に文章としてはアフォリズムというか、デタッチメントというか、それまで日本の小説でぼくが読んでいたものとまったく違ったかたちのものになったということですね。」
「人間の根本状態みたいなものはある程度普遍性をもって語られうるけども、その普遍性をどう生きるかというところで個性が出てくる。ある人は海に潜るよりしかたがないし、ある人は山に行くよりしかたがないし、ある人は小説書くよりしかたがない。」
「モラルをどう考えるかということは、ものすごく(言語化が)むずかしい。」
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